1887 Karl Marx
English Edition "Capital"  Translated by Samuel Moore and Edward Aveling,Edited by Friedrich Engels

Chapter 20

カール・マルクス

資 本 論


第一巻 資本の生産過程

第六篇 賃金


第二十章 時間賃金







  (1) 賃金それ自体はさらにまた様々な形式を採る。ただただ物量サイドだけに関心を持つ一般経済学はすべての形式の違いを無視するためこの事実は認識不能である。とはいえ、これらの全ての形式を説明することは賃金労働に関する特別なる学問に属するものであるからここではこの考察はしない。ではあるが、二つの基礎的な形式については、ここで、簡単に調べて置かねばならない。  

  (2) 労働力の販売は、既にご承知のように、ある一定の期間を決めて行われる。日とか週とかである。労働力の価値はそれ自体を、この様に、時間賃金として表す。それが日賃金などである。

  (3) 次いで、第17章で述べた労働力の価格と剰余価値の大きさの相対的変化における法則が、単純な形式の転換によって、賃金の法則に入り込むことに注意しておいて貰いたい。労働力の価値とその価値が転化した生活必需品の総額との対比が、今度は名目賃金と実質賃金という形で表れる。すでに現実の形式で表れているのであるから、それらの現象形式について、ここで繰り返しても意味はない。従って、我々は時間賃金のニ三の特徴的な点に限ることにする。 

  (4) 労働者が受け取る彼の日または週の労働の貨幣総額 *1

  本文注 *1 ここでは、貨幣価値自体は一定であると仮定されている。

  (本文に戻る) が、彼の名目賃金額となる。または、彼の、価値として評価された賃金となる。しかし、労働日の長さ、彼が現実の日労働量として提供した量に応じてと云うことは明らかなことで、同額の日または週賃金は労働の価格とは全く違ってくる。つまりは、同じ労働量に対して貨幣額は全く違ってくる。*2 

  本文注 *2 「労働の価格はある与えられた一定量の労働に対して支払う総額である。」(エドワード ウエスト卿 「穀物価格と労働賃金」ロンドン 1836年 67ページ) ウエストは「オックスフォード大学のある学友による 資本の土地への応用に関する評論」の匿名の著名なる著者

  (本文に戻る) 従って我々は、時間賃金を考える上においては、日または週の賃金総額その他と労働の価格とを、もう一度、はっきりと区別しておかなくてはならない。さて、どのようにしてこの価格を見出すのか、すなわち与えられた量の労働の貨幣価値をどのようにして見出すのか? 労働の平均価格は、平均日労働力価値を、労働日の平均時間数で割れば見つけられる。もし、つまり、日労働力の価値が3シリングで、6時間の生産物の価値であり、そして労働日が12時間であるとすれば、1労働時間の価格は 3/12シリング=3ペンスとなる。このようにして見つけられた労働時間の価格は労働の価格を表す尺度の単位としての役割を果たす。

  (5) それ故に、日賃金や週賃金、他が、労働の価格が連続的に低下したとしても、そのままに留まるかもしれない。例えば、習慣的な労働日が10時間であり、また労働力の日価値が3シリングであれば、単位労働時間の価格は3 3/5ペンスとなる。労働日が12時間にと長くなればすぐに、それは3ペンスに、15時間とさらに長くなればすぐに、2 2/5ペンスになる。これらのことがいろいろとあっても、日または週賃金は変化されることなくそのままに留まることがあるやもしれない。これとは逆に、労働単位価格が一定または下落したとしても、日賃金または週賃金が上昇するかもしれない。もし、仮に、労働日が10時間で、日労働力の価値が3シリングとすれば、労働単位あたりでは3 3/5ペンスである。もし、商売の増大に伴って、労働者が12時間働き、労働単位価格がそのままに留まり、そこでは、彼の日賃金が3シリング と71/5ペンスとなる。労働単位価格にはなんら変化がないにもかかわらずに。同じ結果が労働量の拡大に代わってその強度が増大することによっても生じるであろう。*3

  本文注 *3 「労働賃銀は労働単位価格行われた労働の量に依存しており、…. 労働賃金の上昇は労働単価の引き上げを必ずしも前提とはしない。フル雇用とより大きな力を発揮することで、労働賃金は相当に増加するかもしれない。」(ウエスト 前出 67, 68, 112ページ) とはいえ、主要なる質問 「いかにして労働単位価格は決まるのか? 」については、ウエストは単なる陳腐な言葉で切り捨てる。 

  (本文に戻る) であるから、日または週の名目賃金は、労働単位価格が静止状態または下落があったとしても増大する。同じことが労働者の家族の収入に関しても、家族の頭数によって労働量が増えるやいなや、彼の家族の人数の労働によって増大する。従って、日または週の名目賃金の減少とは独立して労働単価の低下の方法があることになる。*4

  本文注 *4 18世紀の熱狂的な産業ブルジョワジーの代弁者によってこのことが感知された。我々によっても度々引用されているこの「商売と通商に関する評論」の著者は、ものごとを混乱して書いているが、こう云う。「それは労働の量であって、その単価ではない。」(彼は日または週の名目賃金のことを述べているのである。)「それは食料とその他の生活必需品の価格によって決められる。生活必需品の価格が縮小すれば、勿論、それに応じてあなたは労働量を縮小する。工場手工業のご主人は労働価格の上げや下げの様々な方法があることを知っている。その名目量の変更以外にもいろいろと。」(前出 48, 61ページ) N.W. シーニョアは、彼の「労働賃金率に関する三つの講義」ロンドン 1830年 の中で、ウエストの著書からの引用であることには触れずに用いているのであるが、こう云う。「労働者と云う奴は、基本的に賃金の量に興味を示す。」(14ページ) すなわち、労働者は基本的に彼が受け取るものに興味を持つ。賃金の名目合計額にである。彼が与えるもの、労働の量にではない!

  (6) 一般的法則としては、こうなる。日または週労働その他の量が与えられるなら、日または週賃金は労働価格、それ自身労働力の価値、またはその価格と価値の差異、のいずれによっても変化する労働単位価格に依存する。他方、労働単位価格が与えられるならば、日または週賃金は、日または週の労働量に依存する。  

  (7) 時間賃金の計量単位、労働単位価格は、日労働力の価値を平均労働日の時間数で割った商である。後者が12時間であるとしよう。そして日労働力の価値が3シリングであるとしよう。そしてそれが6時間の労働の生産物の価値に当たるとしよう。この設定から、一労働時間の価格は3ペンス、そして一労働時間で生産された価値は6ペンスと云うことになる。もし、労働者が新たに、12時間以下の条件で (または週6日より少ない条件で) 雇用されたとすれば、例えばただの6時間ないし8時間としたら、彼は、この一労働単位価格では、日当たり、たったの2シリングまたは1シリング6ペンスを受け取ることになる。*5

  本文注 *5 このような異常な少時間雇用の影響は、法によって規制される労働日の一般的短縮とは全く異なるものである。前者(訳者注: 異常な少時間雇用)は、労働日の絶対的な長さとは全く関係がなく、それが15時間労働日であれ、6時間労働日であれ、起こり得る。普通の労働価格は、最初のケースでは労働者の平均15時間の労働を元にして計算され、第二のケースでは彼の平均6時間の労働で計算される。従って、結果は同じで、もし、彼は一つのケースでは7 1/2時間ならば、他方では僅か3時間雇用される。(訳者注: その分のみしか支払われない。)  

  (本文に戻る) 我々が前提としたところでは、彼の労働力の価値に単に対応する日賃金を生産するためには、平均6時間働かねばならない。同様に前提としているところに従えば、彼は毎時間のわずか半分を彼自身のために、そして半分を資本家のために働く。もし彼が12時間より少ない条件で雇用されたとするならば、彼は彼自身のための6時間の生産物の価値を得ることはできないのは自明である。前各章では過重労働の破壊的な結果を見た。ここでは我々は、不十分な雇用が労働者にもたらす結果である苦難の原因を見出す。

  (8) もし時間賃金が決まっていて、それゆえ資本家はなんら日または週賃金を支払うことに縛られないとして、ただ単に資本家が労働者を利用した時間のみの賃金を支払うとしたら、時間賃金の基礎とした、労働の価格の計量単位の基礎とした時間よりも短い時間 労働者を雇用することができることになる。その労働価格の単位がどのように決められているかと云えば、その比は、

労働力の日価値 / 労働日として与えられた時間数
 

 であり、その労働日にその明確にされた時間数が含まれないと云うことになれば、即 勿論のこと、その全ての意味が失せる。支払われた労働と支払われなかった労働の関係も見えなくなってしまう。かくて資本家は労働者の生存に必要な労働時間を考慮することもなしに、労働者から一定量の剰余労働を巻き上げることができるようになる。彼は雇用に関する全ての正常なあり方を廃止し、彼の勝手な都合とか、気まぐれとか、その時の興味にまかせて、最大の加重労働を、相対的または絶対的な失業を、交互に混ぜ合わせて労働者に強いる。彼は、労働者に、それ相応の対価を支払うことなく、「通常の労働価格」を支払うと見せかけて労働日を異常に長くすることができる。かくして、完璧なありうるべき暴動が起こった。資本家の、労働者に、時間によるこの種の賃金を支払おうとする企てに反対して、1860年、ロンドンの建設業界に雇用された労働者の暴動が起こった。法的な労働日の制限がこのような悪癖を終わらせた。とはいえ、当然ながら、機械の競争によって惹起する雇用の縮小や雇用される労働者の質の変化によって生じる雇用の縮小や部分的または一般的な恐慌による雇用の削減を排除することは(訳者挿入: 工場法では)できない。

  (9) 日または週賃金が増大したとしても、労働の価格は名目上一定に留まるであろうが、それでも、通常以下に低下することもありうる。このことは、労働の価格(労働時間単位として計算されたところの)が一定で、労働日がその通常の時間数を越えて延長される場合にはいつでも起きる。もし、分数値

労働力の日価値 / 労働日

 において、分母が大きくなるとしたら、分子の方がそれ以上に早く大きくなる。労働力の価値は、その消耗度に依存しているのであるから、その機能の継続が長くなれば、その継続時間以上に早い比率で消耗する。法的な制限のない時間給が一般的な多くの各工業部門においては、それゆえ、この習慣が一般的な労働日をある一定点までとする見方がごく自然に発生する。すなわち10時間 (「標準労働日」、「一日の仕事」、「正規の労働時間」で終わる労働日とか。この制限を越える労働時間が超過時間であり、一単位時間ごとに多少よりよい支払い(「割り増し払い」) が振る舞われる。とはいえ、多くの、その率は馬鹿馬鹿しいぐらい小さい。*6 

  本文注 *6「超過時間の支払い率は、(レース編み業種では) 非常に小さく、時間当たり1/2ペンスとか3/4ペンスから 2ペンスと云ったところであり、労働者の健康や持久力に生じる多大な障害から見れば苦痛に満ちた対比となっている。…. このようにして稼いだ小さな額は、また大抵、更なる滋養剤に支払うことを余儀なくされる。」(児童雇用調査委員会 第二次報告書 xviページ ノート117)

  (本文に戻る) ここでは、標準労働日は実際の労働日の一部分であって、後者が1年中続き、前者よりも長いものとなる。*7

  本文注 *7 例えば、着色紙製造業では、工場法がこの業種に導入された最近より前までは、「我々は食事のための停止時間もなしに働く。だから10時間半の日労働は午後4時半には終了とされるが、その後が超過時間で、午後6時以前に仕事から離れることはほとんどない。だから、我々は実際には年中通して超過時間で働く。(児童雇用調査委員会第一次報告書に於ける スミス氏の証言 125ページ)

    (本文に戻る) ある一定の標準労働日の制限を越える労働日の延長による労働価格の増加は、種々の英国工業に次のような形をつくり出す。いわゆる標準時間での安い労働価格がよりよく支払われる超過労働時間での仕事に労働者を駆り立てる。彼が十分な賃金を得たいと思えばまったくそう云うことになる。*8 

    本文注 *8 例えば、スコットランドの漂白業では、「スコットランドのある地区の、この商売では、(工場法が導入される以前の1862年) 超過労働システムが横行していた。すなわち 日10時間が正規の作業時間であって、標準賃金は1シリング2ペンスが成人男性に支払われる。そこには毎日超過労働時間が3ないし4時間あって、時間あたり3ペンスの率で支払われる。この支払いシステムの効果は、…. 成人男性は、通常時間数では、週に8シリング以上稼ぐことはできなかった…. 超過時間なしにはそこそこの日賃金を稼ぐことはできなかった。」(「工場査察官報告書」1863年4月30日 10ページ) 「成人男性にとっては、長時間働き、その高い賃金を得ることは、非常に抵抗しがたい誘惑であった。」(工場査察官報告書 1845年4月30日 5ページ) ロンドンのシティにある製本業は14歳から15歳の若い少女を大勢雇っており、そしてある決まった労働時間を縛る徒弟制度で働かす。それにもかかわらず、毎月末の週は夜10時、11時、12時または1時まで、年上の労働者たちと、ごちゃごちゃに入り乱れて一緒になって働く。「ご主人様方は、彼女らを割り増し賃金と夕食とで誘惑する。」その夕食を彼女らは近所の居酒屋で食べるのである。かくして、偉大なる猥雑が、これらの「若き不朽の者たち」の間に蔓延するが、(児童雇用調査委員会 第五次報告書 44ページ ノート191)その中で特に、聖書や宗教書を彼女たちが製本すると云う事実によって、清められる。

    (本文に戻る) 労働日の法的な制限がご主人様らのこの種のお楽しみを終わらせた。*9 

    本文注 *9 「工場査察報告書」 1863年4月30日 10ページを見よ。まことに正確な状況の把握の下、建設業に雇用されるロンドンの労働者たちは、1860年の大ストライキ及びロックアウト期間に、次のように宣言した。彼等は時間による賃金を以下の二つの条件の下でのみ受け入れるであろうと。(1)労働時間の価格については、9または10時間それぞれの標準労働日が決められなければならない。そして10時間の時間価格については、9時間労働日のそれよりも高くすべきである。(2) 標準労働日を越える毎時間は超過時間として認められ、それなりの比率でより高く支払われるべきものとする。

  (10) 次のような事実は一般に知られている。労働日が長ければ長い程、様々な工業部門で、賃金は低い。*10  

  本文注 *10 「長時間が規則なら、小さな賃金もまたそうなる。」と言うことはまた、特に注目に値する。工場査察報告書 1863年10月31日9ページ) 「食べ物にも事欠くような賃金しか得られない仕事は、ほとんどの場合、極端に長い時間となる。」(公衆衛生 第六次報告書 1864年 15ページ)

  (本文に戻る) 工場査察官 A. レッドグレーブは、このことを1839年-1859年の20年間を回顧再調査して説明する。この調査によれば、10時間法の下にある工場では賃金が上昇し、一方の14時間も15時間も労働が続く工場では下落している。*11 

  本文注 *11「工場査察報告書」1860年4月30日 31、32ページ)

  (11) 「労働の価格は、日または週賃金は支出された労働の量に応じて与えられるものである。」と云う法則から、第一に、次のようなことが引き出される。労働の価格が低ければ低いほど、労働の量はより大きくなる。または惨めなほどの平均賃金をなんとか手にする労働者にとっては労働日はより長くならねばならない。労働の価格の低さはここでは労働時間の延長への刺激剤の役割を演じる。*12

  本文注 *12 例として、英国の手加工による釘造り工は、労働の価格が低いために、彼等の惨めな週賃金をハンマーで打ち出すためには日15時間働かねばならない。「1日に非常に多くの時間(午前6時から午後8時)を費やし、11ペンスまたは1シリングを得るためにその時間きつい労働をしなければならない。そして、道具の磨耗とか、燃料のコストとか、そこから廃棄される鉄くずとかがあり、2 1/2ペンスとか3ペンスとかがまとめて差し引かれる。」(「児童雇用調査委員会 第3次報告書」 136ページ ノート 671) 同じ労働時間で、女性はわずか週賃金5シリングを得るにすぎない。(前出 137ページ ノート 671) (訳者注: ハンマーを振るっての週賃金6シリングから3ペンスを差し引かれれば、結果として5シリング 9ペンスとなる。女性との差が問題なのではなく、彼ら彼女らの惨めな賃金と長時間労働を示している。)

  (12) 他方、そして、その成り行きとして、長時間労働は労働価格を下落させる。また、日または週賃金を下落させる。

  (13) 労働の価格は、次の比により決定される。

労働力の日価値 / 労働日として与えられた時間数

 この比は、何の補正も加えられなければ、労働日の延長は単なる労働価格の低下となることを示している。結局は資本家をして労働日を延長することを許すこの状況が、最初は資本家に許すこの状況が、最終的には彼を駆り立てるこの状況が、増加した労働総時間数の総価格が低下するに至るまで、従ってすなわち、日または週賃金を低下させるに至るまで、 (訳者挿入: 労働時間を延長することになり) 労働の名目価格を低下させる。ここでは以下の二つの状況について見ておけば十分である。(訳者挿入: まず第一の状況は) 一人の人間がもし、1 1/2人分または2人分の仕事をこなせば、労働の供給量は増大し、労働力の市場価格が不変であるならば、労働力の供給量もまた増大する。この労働者間に創出される競争が資本家をして労働の価格を値切ることを許す。低下する労働価格が彼をして、その一方で、さらなる労働時間を捻り出させる。*13 

  本文注 *13 例えば、もしある工場労働者が、継続的に行われる長時間労働を拒否したとしたら、「彼は、たちどころにして、長時間働く誰かに交代させられ、当然解雇される。」(工場査察報告書 1848年 4月30日 証言 39ページ ノート 58) 「もし一人の人間が2人分の仕事を行うならば、…. 一般的に云えば、利益率は上昇させられる、…. その結果として、追加的な労働がその価格を低下させる。」(シーニョア 前出 15ページ)

  (本文に戻る) とはいえ、直ぐにこの異常なる不払い労働に対する指図は、すなわち社会的平均量を越える量の不払い労働に対する指図は、資本家自身達の間の競争の原因となる。商品価格の一部は、労働の価格で成り立っている。労働価格の不払い部分は商品価格に組み込む必要がない。買手にプレゼントされよう。これが最初の競争の始まりである。第二の競争は、なにはともあれ、労働日の延長によって創り出された異常な剰余価値部分を商品の売値から排除することになる。この方法によって、商品の異常に低い売値が横行する。最初は突発的に、そしてそれが常態化したものとなる。(本章訳の終りの後ろに余談を追加した。) 低価格は、かくて、長時間労働のための惨めな賃金の一定の基礎となる。これらの状況が創り出したものがさらなる超過時間労働である。この連鎖運動についてはここで簡単に明示したが、この競争の分析については我々のこの篇の主題には属していない。ではあるものの、もうしばらくは、資本家の心情とやらを。「バーミンガムでは主人同士の競争が激しく、雇用者としていろいろとしなければならないことが多い。中には恥ずかしいこともあるが、とにかく儲からない。ただ単に公衆に利益を差し上げているばかりなのである。」*14

  本文注 *14 「児童雇用調査委員会 第三次報告書」 証言 66ページ ノート22

    (本文に戻る) 読者の皆さんは、二種類のロンドンの製パン業者のことを思い出すであろう。(訳者挿入: 第二の状況) その一つはパンをそのままのあるべき価格で売る製パン業者(「正規価格」業者) と、それ以外の標準価格以下で売る業者(「価格以下」、)安売り」業者)である。「正規価格」業者は議会の調査委員会において、彼等のライバルをこう非難する。「まずは公衆を欺いているやつらであること。次いで12時間の賃金で労働者を18時間働かせているやつらであること。…. 労働者に対する不払い労働が、…. この競争をもたらす原因で、…. それが今日でも続いている。製パン業主人たちの競争は、夜間労働を取り除くことを困難にしている原因である。安売り業者は、彼のパンを原価価格以下で売る。小麦粉の価格なみで売るには、労働者からより多くの労働を巻き上げなければならない。…. もし私が私の労働者からたったの12時間労働を引き出していて、私の隣人が18時間から20時間の労働を引き出しているとしたら、彼は私の価格で売るこの商売をぶちのめすことになるにちがいない。もし、労働者たちが超過労働に対しての支払いに固執することができるならば、このことは正しく修正されよう。… 安売り業者に雇われる多くの人々は、得ることができる いかなる賃金でも受け取ることを余儀なくされた外国人や若者たちである。」*15 

    本文注 *15 「製パン旅職人によって告訴された苦情に関する報告書、その他関係書類」ロンドン 1862年 411ページ、そしてそこにある証言 ノート479、359、27 なにはともあれ、正規価格製パン業は、上に書かれた通りで、そしてかれらのスポークスマンとしてベネット自身が認めているように、彼等の労働者を「通常は午後11時から働き始めさせて、翌朝の8時に至るまで働かせる。….さらに、彼等は一日中仕事に従事し、夕方の7時までも続ける。」(前出 22ページ) 

    (14) この嘆き節もまた、興味深い。なぜならば、資本家の頭脳に、生産関係の単なる外観それ自体がどのように写っているかを示すからである。資本家は、労働の標準価格がまたある一定量の不払い労働を含んでいることを知らない。またこの不払い労働が彼の利得の標準的源泉であることも知らない。剰余労働時間という概念が彼には全く存在していない。彼が日賃金として支払ったと思っている標準労働日の中に含まれているからである。しかし、超過時間は彼にとっても存在している。通常の労働価格内の限度を超えた労働日の延長として。彼の安売り競争相手には面と向かって、この超過時間への割り増し給にこだわる。彼はまた、この割り増し給が、通常の労働時間価格と同様に不払い労働を含んでいることを知らない。例えば、12時間労働日の単位労働時間の価格が3ペンスであり、それが半時間労働の生産物の価値とするなら、一方の超過時間の価格が4ペンスまたは2/3時間労働の生産物の価値となる。最初のケースでは、資本家は労働時間の半分を何ら支払うことなしに占有し、第二のケースでは1/3労働時間分を同様に占有する。







[第二十章 終り]





    訳者余談: 章を終えた後に余談を付けるなどまことに申し訳ないところであるが、ここにデフレ様相がしっかりと示されているので書き加えることにした。後一週間で参院の半数の選挙日を迎える。(平成25年7月14日にこれを書いているのである。) さて、結果の予想としては自公の圧倒的勝利とマスコミの紙面・画面がにぎやかで、人々をそのように煽動する。もし他の党に入れれば、それは死票になり、付加価値がないと殊更に枠入れを迫る。多分それに近い結果となるだろう。さて自公の主張はデフレ解消なる経済成長政策である。その内容は円札を刷って為替を操作し円安とし、外国で安売りに勢を出し、株の名目価格を高めると云う手法である。本章を読んだ読者の皆さんは、デフレの本質を把握しているので、この操作ではデフレ解消は存立しえないことを明確に頭脳にとどめたものと思うが、資本家や資本家政府にはこの事実を理解する脳片はない。選挙の勝負はともかく、その後の労働者の生活は、また、資本家の安売り合戦の嘆きは、前者は低賃金長時間労働と云う惨めであり、後者はさらなるデフレの呻きとなろう。かくもグローバルに海外市場に依存するデフレ解消幻想政策は資本主義の歴史においても際立って末期的なものとして示される断面であろう。さて、それでも自公の政策に反対する人々も決して少なくはない。そこが面白いところなのだが、中間政党の民主とかみんなとかがこう嘆く。自公に反対の人々が、我々のところに立ち寄らずに、その対極の共産党まで行ってしまうようだ。我々はこれに危機を感じざるを得ない。と。